先人たちが生命をかけて体得した智慧

言葉に託された遺産

冥想は言葉だけでは体得できない。

しかし、言葉で説明できることは言葉で継承していく。

先人たちは多くの教えを遺して下さいました。言葉の遺産です。

 

この遺産に生かされ生きています。

この意味を深く感じて、身体で

感じ、こころで感じ、生命で感じ

魂でわかっていくことが、冥想の

道であると思います。


氷山の一角

私達が意識できる分野は氷山の一角に過ぎない。

 

業(カルマ)とは、先天的、後天的に自分に身についている働きのこと。身についているものに支配されている。そのために、どんなに正しい事を行なおうと願っても、成し得る能力が身についていなければ成し得ることが不可能。

また、誤ったことをやるまいと決心したとしても、それを成す癖が身についている限り、

無意識にそれをやってしまう。

自然から学べ

人間の計らいには偏りと驕りがある。学ぶべきは自然の叡智。

 

植物も動物も、季節の変化を感じて、適応し生命保持をしている。

倒れた木が自然に立ち直り、野生の動物が自分の力だけで健康を守り、異常を治していく。

元々、人間も自然界の一員として生活していた時は、同様に生命を守っていた。不自然生活で失った生命力は、便利な生活ほど低下している。

 

冥想への扉は無門

無門であり、沙門。どの門からでも入れる主義主張を超えた分野。

 

すべての人間は、自由、幸福、健康を望んでいる。この1点を共有していればいい。武道、芸道、医道、職人道など、技術の向上のみならず、精神性、生き方も含めて精進すること。自分に与えられた

独自性を開花させていくことが重要である。



人類が本能的に求めているもの

生かし合う=共存共栄 これが人類が本能的に求めているものです。

お互いを生かすとはどういうことだろうか。

何が生かすことの妨げになっているだろうか。

生かすべき長所と、弱点になっている短所とは何だろうか。

 

元来、長所と短所は対立したものではなく、

一つの持ち分が環境に適合した場合、長所としての働きをなし

時とところを得ない不幸な立場となると短所として現れる。

 

長所と短所は対立して存在しているのではないのです。

短所に対して、自己嫌悪と劣等感に陥ることはない。

短所が自分の罪を作る根源ではない。

 

長所をさらに伸ばして他に貢献し、短所もまた他に

調和すべく工夫する。どのようにして、自分自身と

他人の長所と短所を善として活用するかを追求していく

ことを探求すべきである。

 

このような共存共栄の生き方が真の平和への道である。

この道を行じていくことが、冥想道である。


本質と現象

ものには本質(プルシャ、真我、神性)と現象(プラクルティ)があり、

一切の現象はこの二つが一つになったもの。

本質は不変であり、現象は条件次第で変化するもの。

私達の目には、この本質は見えない。見えるものは変化を繰り返す現象のみ。

現象に苦しみが表れている時、それを表す条件がある時だ。

要するに、原因があるから結果がある。自業自得ということ。

私達が望んでいる自由、幸福、健康は、不変の真実にしか存在しない。

そいうことは、現象の上に本質の相を表し得る条件をつくれ。

現象(結果)をつくりだす条件(原因)の作り主は他でもない自分自身だ。

悪条件を捨てて、善条件を身につけよ。

善とは調和だ。

そのための行法を提案しているのが、ヨガであり瞑想であり、

すべてを含んでいるが冥想行法となる。

ヨガスートラ(ヨガ経典より)