瞑想から冥想へ

 

冥想の冥は、目が入っていません。

「冥」は、広く深いの意味。

瞑想で得られたこころの解放を

生活に生かしていく。 

この身に現わしていく。 

冥想とは

静禅・動禅・生活禅・・ 言い換えると

瞑想・アサナ・暮らし

静禅

(座 禅 瞑想)
日常生活と 心を切り離して。

何かを得ようとしない行。

ただただ、座る行。

姿勢と呼吸に意識集中の行。

 

 

動禅

(ヨガアサナなど)

心身の自然な流れを サポート

無理させている体にお返しの行。

自分の身体を感じていく行。

身体の行がそのまま、精神の行になっていく。

 

生活禅

(日々の生活)
今、ここで 楽・悠・逞・妙

座禅やヨガアサナで心身を

整えたならば、整えた心身を

生活の場で生かしていく。

大胆に・大らかに・自己実現へ!



瞑想=meditation 

瞑想の瞑は、「目」を閉じて座るという意味。

 

瞑想における脳の変化が実証されてきています。

日常生活では、脳波はβ波であるのに対して

瞑想中には、α波、θ波になるというもの。

 

このことによって、こころが解放され、

直観力、ヒラメキ、感性が表面化していくと

いうものです。

 

冥想の冥は、目が入っていません。

「冥」は、広く深いの意味。

瞑想で得られたこころの解放を

生活に生かしていく。

この身に現わしていく。

 

物事をひとつの方向だけでなく、

色々な角度から捉えていくこと。

例えば

好き嫌い・損得・優劣・勝敗・・

どちらかの選択肢しか持たない場合、余裕がなくなります。

すると、身体もこころもぎゅーっと縮まり硬くなります。

 

嫌い、損した、劣っている、負けた。

そこから先は、何も見えない? 

いいえ、そこからが

開けていく世界があります。

 

 <広く>

損したから出会えた人、もの、こと。

<深く>

病気したから出会えた喜び、有難さ。 


動いていると見えないものがあります

現代人は、情報氾濫、便利氾濫、

物質氾濫の中で、振り回され、

時間に追われ、リセットする

余裕もない。

 

悲鳴をあげているのに、

聞こえていない。

 

立ち止まって耳を澄ませて、

内なる声を聞きましょう。

 

聞こえてこなければ、まだ

その時ではないということ。

 

縮んで、絡んでいる何かが

ほぐれているとき。

 

 

冥想は、日常生活で

使っている脳を休ませ

同時に、眠っている脳を

覚醒させます。